お正月の準備を始めると、なんとなく気持ちが引き締まります。
とは言ってもまだ9月でしたね・・・
大掃除を終えて、年賀状を出して、そしておせちの中身を考える時期がやってきた。
そのとき、黒豆のことが頭に浮かぶ方は少なくないのではないでしょうか。
何度か自分でも挑戦したことはありますが、美味しいと思ったことはありませんでした。
改めて母やおばあさんたちの料理力の素晴らしさに気づくばかりです。
「今年も用意しなくちゃ」と思ってしまう。
それはただの習慣ではなく、どこかで大切にしている気持ちがそうさせているのだと思います。
この記事では、黒豆をおせちに入れたいと感じている方が、
心の奥で何を大切にしているのかを、ゆっくり一緒に考えてみたいと思います。
第1章:黒豆はなぜおせちに欠かせないのか
「まめ」という言葉に込められた先人の知恵
黒豆が正月のおせちに入るようになったのは、江戸時代ごろからといわれています。
長い年月をかけて、日本の正月の食卓に根づいてきました。
「まめ」という言葉には、いくつかの意味がありました。
「まめに働く」といえば、休まず真面目に働くこと。
「まめに体を動かす」といえば、健康でいること。
「まめな人」といえば、誠実で几帳面な人のことを指します。
黒豆一粒に、健康・勤勉・誠実という三つの願いが込められている。
先人はそれを、言葉ではなく食べ物の形にして、正月の食卓に置いたのですから感動しますね。
食べるたびに願いを思い出す。
食べてもらうことで願いを伝える。
そういうやさしい知恵が、黒豆には宿っていることがわかりました。
縁起ものは「信じるか信じないか」ではない
縁起ものというと、「迷信では?」と感じる方もいるかもしれません。
若い頃の私もそうでした。
でも、シニアになった今では黒豆をおせちに入れる方の多くは、「信じているから入れる」
というより、「入れることで気持ちが整う」と感じているのではないかと考えています。
形を整えることで、新しい年への気持ちがすっきりと切り替わる。
そういう感覚は、日本人にとってとても自然なことだと思います。
第2章:黒豆を大切にする人が守っているもの
形が整ってこそ、気持ちが新年に切り替わる
おせちの重箱を開けたとき、黒豆がそこにあり、とても目立っていました。
それだけで「ああ、お正月だな」と感じていました。
逆に、黒豆がないと「何か足りない」という感覚が残っているんです。
それは気のせいではなく、長年の記憶が「正月の正しい形」を知っているからではないでしょうか?
正月は、一年のうちでもっとも改まった時間です。
その時間を丁寧に迎えるために、食卓の形を整えたい。
黒豆を大切にする方は、そういう感覚を自然に持っていらっしゃるように思います。
「うちの正月」を次の世代へ渡したい
「子どものころ、お母さんが炊いた黒豆の甘い香りがした」という記憶をお持ちの方は、
少なくないのではないでしょうか。
その記憶は、レシピではないと思います。
黒豆の味というより、あの台所の空気、家族が集まる前のあの時間、
そういうものがひとまとめになって、黒豆の記憶として残っているんでしょう。
だから、自分が親や祖父母の立場になったとき、同じように黒豆を用意したいと思う。
若い頃は思ってもいなかったのですが、「うちの正月はこういうものだ」という感覚を、
言葉ではなく食卓の上で次の世代に渡していきたい。
そういう静かな気持ちが、黒豆を大切にする方の中にあるように思います。
丁寧に炊く時間そのものが、年末の儀式になっている
黒豆を手作りする方にとって、炊く工程そのものに意味があるといいます。
前の晩に豆を水につけて、翌朝からじっくり火にかけて、
何度かアクをすくいながらゆっくり炊き上げています。
慌ただしい年末のなかで、その時間だけは台所でゆっくり黒豆と向き合う。
「年に一度、これをやると年末が終わる気がする」とおっしゃる方がいます。
忙しい毎日のなかでは省いてしまうような丁寧な手間を、この時期だけはかける。
その行為自体が、自分なりの年末の締めくくりになっているのかもしれません。
第3章:家族への願いを食卓に置くということ
黒豆一粒に「元気でいてほしい」が詰まっている
おせちは、自分のために作るものではありません。
家族に食べてもらうために、あるいは集まる誰かのために用意するものです。
黒豆を炊くとき、頭に浮かぶのは食べてくれる人の顔ではないでしょうか。
「今年も元気でいてほしい」「まめに働けますように」という気持ちが、炊く手を動かしている。
言葉にすると、くすぐったくなってしまうような願いが、黒豆という形になって食卓に置かれる。
食べてもらうことで、その願いが静かに伝わっていく。
おせちというのは、そういうやさしいコミュニケーションの道具でもあるのだと思います。
子どもや孫に伝えたい、言葉にならない祈り
お孫さんのために黒豆を用意する方もいらっしゃいます。
「まだ意味はわからなくても、食べてくれればいい」とおっしゃる方もいます。
それで十分だと思います。
幼いころに食べた黒豆の味は、意味を知らなくても記憶に残ります。
大人になっても、意味がわからなかった自分が、シニアになって誰かのために
正月を迎えるようになったとき、あのとき食べた黒豆のことをふと思い出すかもしれない。
言葉で説明しなくても、食卓を通じて伝わるものがある。
それが、日本人が大切にしている食べ物の持つ力だと思います。
食べてもらうだけで伝わるもの――それが母の黒豆だった
「母が炊いた黒豆は、甘さが控えめで、やわらかくて、でも形が崩れていなかった」
と話してくださる方がいます。
幼い記憶をたどると、確かに黒いりっぱなお豆の形でした。
レシピを聞いておけばよかった、と後悔している方も少なくありません。
しかし調理用具の進化はそのレシピ通りには作れないかもしれません。
でも、同時に「あの黒豆を食べるたびに、母のことを思い出せる」という言葉もあります。
黒豆は、記憶を保存する食べ物でもあります。
毎年同じように用意することで、大切な人との時間が、食卓の上でそっとよみがえる。
そういう積み重ねが、「うちの正月」を作っていくのだと思います。
同じ環境の思い出が家族共通で記憶に残るという不思議な力が「おせち」にはあるようです。
第4章:あなたの黒豆を、今年の食卓へ
手作りか、取り寄せか――大切なのは「置くこと」
「黒豆を用意したいけれど、手作りは難しくて」とおっしゃる方も多いです。
私は男性ですが、チャレンジしているので難しさはとても良くわかります。
でも、手作りでなければいけないということはないと思います。
大切なのは、今年の食卓に黒豆を置くことでしょう。
それだけで、家族への願いは十分に伝わります。
最近は、丹波産の上質な黒豆を使った商品や、昔ながらの製法で丁寧に炊き上げたものなど、
信頼できる取り寄せ品がたくさんあります。
忙しい年末に無理をするより、良いものを選んで用意するのも、ひとつの丁寧さだと思います。
選び方のポイント:産地と甘さの好みで選ぶ
黒豆を選ぶときは、いくつかのポイントを参考にしてみてください。
産地について 黒豆の産地として有名なのは、兵庫県の丹波地方です。
粒が大きく、皮がやわらかく、ふっくらした食感が特徴だそうです。
京都の丹波黒大豆も高く評価されています。
年ごとに産地にこだわると、味の違いを楽しめます。
甘さについて 黒豆の甘さは、商品によってかなり違います。
控えめな甘さが好きな方、しっかり甘いほうが好きな方、家族の好みに合わせて選んでみてください。商品説明や口コミを見て「甘さ控えめ」「昔ながらの甘さ」などと書かれているものを参考にするといいでしょう。
形について 粒がふっくらしていて、皮にしわのないものが良質とされています。
取り寄せの場合は、口コミやレビューで「崩れていない」「形がきれい」という評価を参考にしてみてください。
第5章:黒豆にまつわる小話と豆知識
炊くときに錆びた釘を入れる理由
黒豆を手作りする際、「錆びた釘を入れる」という話を聞いたことがある方もいるかもしれません。
これは迷信ではなく、ちゃんとした理由があります。
黒豆の黒い色はアントシアニンという成分によるものですが、
このアントシアニンは鉄と反応することで色が安定し、きれいな黒色を保ちやすくなるのです。
昔の人は化学的な説明はできなくても、経験の中から「釘を入れると色がきれいになる」ことを知っていた。
そういう先人の知恵が、今も受け継がれています。
最近は、釘の代わりに専用の鉄製の道具も販売されています。
地域によって少しずつ違う黒豆の炊き方
黒豆の炊き方は、地域によって微妙に違います。
関西では甘さを強めにして、ふっくらやわらかく炊くのが好まれる傾向があります。
一方、関東では少し締まった食感に仕上げる炊き方も見られます。
また、家によってもレシピは少しずつ違っていて、醤油を少し加える家、みりんを使う家、
砂糖の種類にこだわる家など、それぞれに「うちの味」があります。
取り寄せで選ぶときも、そういった地域性や製法の違いを知っていると、
自分好みの黒豆を見つけやすくなりますが、食べてみないとと思っちゃいます。
まとめ
黒豆は、料理である前に、願いを形にしたものだと思います。
「まめに生きてほしい」「元気でいてほしい」「今年もよろしく」
――そういう言葉にしにくい気持ちを、食卓の上にそっと置く。
それが黒豆という存在なのかもしれません。
手作りでも、取り寄せでも、どちらでもかまいません。
今年の元旦、大切な人のために、黒豆を一皿用意してみてはいかがでしょうか。
食卓に置かれた黒豆が、家族への願いをやさしく伝えてくれると思います。
おせちに黒豆は必要化?
おせち料理は作るのが難しいと思い、避けてきた私ですが、
おせち料理に昔の先人様たちが込めてきた思いを今一度考えてみました。



